じんせいのあれこれ

人生は人それぞれやで、自分なりの答えを見つけよう!

「不良だけど根はいい奴」という記事について

 

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↑記事作成者様?

 

 どうも、こんな記事を見つけたヤサカです。

news.nicovideo.jp

 さて、中身はわかるし、言いたいこともわからんでもないが、如何せん要点がまとめられておらず、ただ、興味がないつまらない内容でもないので、ちょっと考えの整理も含めてまとめてみることにしてみました、最後までお付き合いいただければ幸いです。

 

そもそもの記事の概略

 そもそもの上記の記事の概略を箇条書きすると以下の通りです。

  • 不良や悪い奴が実は良いところもある、的な擁護が多い*1*2
  • まともな奴はそもそも不良とかにならない
  • 不良の善行は認められ、普通の人の善行が認められないのは不憫

 といったところ。ふむ、わからないでもないですね。記事内でも触れられているように、映画やドラマでもそのようなキャラクターやエピソードがあったりもしますね*3。で、上の批判はごもっともなのですが、如何せん、何でそういう風になってしまっているのかについての考察が一切ないので、しっくりこないし、案の定(全然案ではないが)下のコメントでも紛糾しています。

 なので、きちんといくつかの理由を考えていきたいと思います。では、思いついた理由を3つほど挙げます。

 

そもそもの不良や悪の定義が曖昧

 まずはこれです、定義がそもそも適当すぎます。ここではわかりやすく不良を例に考えていきましょうかね。まず、私の考える不良像は、犯罪行為をしている or 片棒を担いでいる、というのが私の不良像です。個人的にはかなり緩いかな、と思います。他にも考えられる定義としては学校なら校則を破ったもの、とか、リーゼントの人やそり込みを入れている人、とか、いろいろあるかと思います。

 で、校則を破った人という定義になれば、高校時代の私はとんでもない不良となります。当時の私は、持ち込み禁止物を持ち込んで遊んでいたし(トランプ)、没収されるたびに新しいトランプを持ち込んでまた遊ぶという、担当教師から見れば目の上のタンコブだったかと思います。

 このように、不良の例で見ても、人によっては定義が曖昧で、不良だけど根がいいのか、そもそも不良ですらないのか、判断が付きませんね。

 

根っからの完全な悪人は少ない

 次はこれ、悪人は少ないんですよ。よくある人の良いところを探そう、みたいなのに代表されるように、まったく良いところがない人、というのは、なかなかいません。良い人や善人が、善:悪=90~100:10~0だとして、悪人でも善:悪=1:99くらいだと思います。

 で、完全な悪人でない限り、良いところがあるわけですから、見つけてしまえば、不良でも良いところがある、ということになってしまいます。なんだ、不良でも良い奴はいるんだな!*4

 

人の視点によって良いところがあったりする

 最後は見方の問題です。例えば、某朝鮮半島将軍様思い浮かべてみれば、日本にいる日本人のほぼ全員が彼を悪人と定義するでしょう。ただ、将軍様の家族や側近からすれば、家族サービスが豊富で、側近に気を使う良い人かもしれません。

 こんな風に、同じ人を見ていても、その人を見る人の状況や立場によって、良い人かどうかは大きく変わってしまいます

 

まとめ

 まとめていくと以下の通りです。

  • そもそもの不良の定義が曖昧すぎるので、記事でいう不良がどの程度かわからない
  • 本当に褒めるところのない悪人はほぼおらず、不良や悪人と言えども、探せばどこか褒められてしまう(良い人になってしまう場合がある)
  • その不良や悪人を見る人によって評価が変わるので、良い人かどうかはその人次第になってしまう

 となっています。で、元記事に対して反論や意見をするなら、不良と言えども、良いところがないわけではないだろうし、まともな奴という定義にしろ、まともな奴がどんな奴かは定義や視点によってはっきりしないし、善良な奴はどんな状態でも評価されると思います。要するに記事の作成者様は一面的に捉え過ぎているんですよね

  結局、記事の中心である不良を褒めている人は、その人の良い面を知っていて、それを相手側に理解してもらおうとしているか、擁護している人に過ぎず、そんな人たちがどうかしているかというと、そんなことはないと思います。

 

 さて、まとまりが悪いですが、そんなところです。では、次回まで、さよなら!

*1:記事の内容から察するに相手方に対して怒った記事作成者と怒られている側、そして第三者が存在し、怒られている側を見るに見かねて第三者が救済に入っているわけであって、決して怒られている側を褒めているわけではないと考えられます

*2:私もそういう場面(怒っている側)で出くわしたことがあり、納得できなかったが、まあそんなもんである

*3:あくまで映画やドラマでは視聴者さんの感情移入や演出の都合でそのようになっています

*4:ただし、ここで触れる良い人は、別に良い人ではありません。例えるなら、善人や良い人が宝石や黄金なら、不良の良いところは、ゴミの中から使えるガラクタを見つけているレベルなので、善良な内容次第ですが、決して良い人とは限りません