じんせいのあれこれ

人生は人それぞれやで、自分なりの答えを見つけよう!

守るべきもののある強さ

 前回の記事からの続きです。

 今回の記事は、私のようにぼっちで守るべきもののない人に対しては目の毒になる可能性があるため、ご注意を。

 

 

 

守るべきものとは

 今回は考え方というよりは、あり方の問題な気がします。

 自分は守るべきものをほとんど持ったことがないので、想像上のものになります。そのため、的外れな意見を言うかもしれないことは予めご留意を。

 

 まず、守るべきものとは、家族であり、恋人であり、妻であり、子供であり、両親であり、友達だったりもします。それが会社やアイデンティティだったりと、組織や概念だったりもするかもしれません。

 何をもって守るべきものと定義するか、となると、それに対して尽くせるか?というところでしょうか。

 例外的に形骸化し、それが慣習となっている場合もあるでしょうが、基本的にはそれでいいかと思います。

 

 大体の人は何らかの守るべきものをもっているかと思います。ちなみに自分自身の場合はその限りではありません。それは後述のとおりになるからです。

 

 

 

守るべきもののある強さの良い点と悪い点

 まず、守るべきもののある強さの良い点は、自分自身の能力を高めてくれる可能性があるという点です。

 人は社会性の生き物です。一人で生きていくこと困難です。また、人は人のために何かをすることでより強い力を発揮することができます。

 引くに引けない、崖っぷち、背水の陣。一人の時でもその状況は往々としてありますが、誰かのために行うのは相乗効果的にも強いものです。

 これが守るべきもののある強さかな。と思います。

 

 

 では逆に悪い点は何か、というと小回りが利かない点です。

 これは、自身がその仕事などを辞める際に、守るべきものを考えて辞められない。ということが往々とあります。

 一人の意思で決められない分、柔軟性がない。といったところでしょうか。

 私のように独り身で両親に心配がなければ、辞めるのは自分の意思。という風にできますが、家族がいると、転職先の給料で養えるのか?転職までの期間はどうするか?など、悩みが尽きません。

 そこにある安定を取らざるを得ない。というのが、守るべきもののある強さの悪い点です。

 

 

 

 

 

 さて、以上のような感じでしょうか。

 うーむ。やっぱり守るべきものがない分、書きにくい記事ですね。はい。

 でも、いろいろ考えると守るべきものはディスプレイ内がいいですね(思考停止)。

 

 今回はここまで、では次回まで!