はい。しょっぱなから糞ギャグをかます管理人ヤサカです。
今回は現在も結構考える問題、言い訳と理由の境界について考えていきたいと思います。
結構会社でも、「言い訳するな!」など、何か失敗した際の説明を行うと言われてしまうことがあります。しかし、何か失敗したときにその理由の説明ができないと、失敗の要点をとらえきれないとともに、他責的な内容に関しても責任を負うことになります。
では、そうならないように言い訳と理由の違いは何だ?ということで考えていきます。
言い訳と理由の意味
まずは言葉の定義上、言い訳と、理由の違いについて適当にインターネット上で調べてみた結果、以下のような答えが出てきました。
言い訳とは
1. 道筋を立てて説明すること
- 自己の事情を説明して、弁解すること。弁明
- 物事の道筋を説明すること。解説。
2. 言い訳言葉を別々の意味で分けて使うこと
3. 過失・罪をわびること。謝罪。
理由とは
1. 物事がそうなった、また物事をそのように判断した根拠。事情。
2. いいわけ。口実
3. 哲学で、論理的な関係においては結論に対する前提、実在的関係においては結果に対する原因。根拠。
うん。違いがねぇわ。
というより、この二つは意味合い的には紙一重で使われているということだと考えられます。
言い訳に関しては、自己弁解的な意味が強く、自分自身も悪い意味合いでとらえていることが多いと思います。
理由に関しては、その物事に対する説明で、あくまで説明、言い訳と相対した結果、良い意味合いでとらえていると思います。
要するに、日本人が持つ価値観の大多数が、言い訳は悪いもの、理由は良いものとして捉えていると考えられます。
ではいくつかの例を挙げて、自分自身がどちらに当てはまるかを考えていきます。
言い訳と理由の境界を決める例
ということで1つの例をだし、どのように捉えてしまうか考えていきます。
あなたは友人3人とあるバス停Bに8時30分までに集合します。
友人3人はその際にはバス停Aからバラバラ時間のバスに乗車し移動するものとします。
全員が到着した際のバスのそれぞれの状況は以下の通りです。
- 夜中の2時まで映画を見るために起きており寝坊、8時35分に到着するバスに乗車し、8時35分に到着。
- 8時26分に到着するバスに乗車し、バスが渋滞に巻き込まれ5分遅れて8時31分に到着。
- 8時20分に到着するバスに乗車し、バスが事故に巻き込まれ、30分遅れて8時50分に到着。
以上が3人の動きです。
ということでそれぞれ1、2、3の例について言い訳か、理由にあたるか、考えていきましょう。
まずは1からです。1は大多数の人なら言い訳にあたると思います。過失は完全に1本人にあり、言い訳をするにしろ、「映画を見ていたら寝るのが遅くなって寝坊したわ」とか、他責的にするのが困難なものです。
次に2ですが、これは意見が分かれるかと思います。言い分としては「予定通りバスが走れば着いていたが、バスが遅れたために到着が遅れてしまった」などになるかと思いますが、二つの考え方があるかと思います。
まずは言い訳派ですが、これはそもそもギリギリのバスに乗らずに時間に余裕があるバスに乗れれば、多少の遅れでも到着することができる、と。
次に理由派ですが、理論上はたどり着ける時間帯だったため、運が悪かった、と言えます。また、渋滞という事象は他責的なものであるため、ある程度説得力のある説明と言えます。
最後に3です。こちらは圧倒的に理由が多いかと思います。時間的にも相当余裕をもって出ていたにも関わらず、事故という他責的な事象に巻き込まれたため、時間通りに到着ができませんでした。
別の交通手段に乗り換えろよ、という意見があるかと思いますが、バス以外の交通手段はないものとします。はい。
以上の3人の状況から考えるに、言い訳と理由の境界は、その失敗の理由が、より他責的か、自責的かで変わってくると考えられます。
自責的であればあるほど、自己弁論の要素が強い説明となり、言い訳として捉われやすくなります。
他責的であればあるほど、自己弁論の要素が弱い説明となり、理由として捉われやすくなります。
これを踏まえれば、何か失敗した際に、自責の面が強ければ謝罪に徹し、他責の面が強ければ素直に理由を説明すればいいかと思います。
ただし、自責の面と、他責の面があいまいな場合や、その人の考え方でその境界は崩れます。
2の例では人によって考え方が半々になるかと思うので理解が得られるか得られないかは5分5分と言えます。
また、3のように他責が強い場合でも、許さないという人は往々として存在するかと思います。
以上のように価値観によって、この境界は変わってくるので、説明する相手の性格や考え方、状況を見極めたうえで行えばいいかと思います。
では今回はこんなところですね。さよなら!