どうも、シルバーウィークに旅行に行ったの管理人ヤサカです。
今回は旅行に行って来たので旅について考えていきたいと思います。といっても旅行とか観光とか、自分探しの旅とか、とにかく外部へのアウトプットを連想するかと思いますが、私の場合は、人生を旅に例えて話していきたいと思います。結構多いですよね、こういう議題。
旅の過程
さて、人生を旅でたとえると、どこまで生きるか?どう生きたいか?というのが、一つの考え方になるのではないでしょうか?
例えば、自分がどう生きたいかというと、楽しく生きたいとかいう漠然としたものから、「将来は30までに結婚して、35までに子供を作って、子供は男の子と女の子で二人ずつがいいとか、家は~坪以上で、老後は北海道でマンションを買って暮らし、最後は子供と孫たちに見守られながら静かに看取られたい」というめちゃくちゃ理想的なものまであると思います。
これは旅行で言うなら、どの飛行機に乗るとか、どの時間に出発するとか、どの宿に泊まるとか、旅の道中を表すものです。
この考え方も現在の若者では難しいもので、夢や希望があふれていた昭和中期以前の時代ならともかく、暗黒の平成生まれはそうはいきません。楽しく生きたいとかいうより、取りあえずしがみついて生きているという方が大半だと思います。具体的にどう生きたいというより、どう生き残るか?という考え方のほうが先行しているかと。
遠い未来を考えることよりも、すぐ近くの未来に控えてる不安について考える人が大半だと思います。明日って今さー!
旅の終わり
では次に、どう生きたいか?を旅行で例えるならなんでしょう?それは目的地です。イタリアのローマに行きたいだとか、京都で寺巡りしたいとか。私の行きたいところです。はい。
では人生では何にあたるのか。いろいろな考え方があると思いますが、一番わかりやすいところで、何歳まで生きたいか?になると思います。
例えば私なら、40から60歳くらいまで生きられたらまあいいかな。くらいで考えています。これは上記の考え方よりもさらに考えにくく、人生の設計よりも、人生の終わりを考えるとなると、いまいち思いつきにくいです。
いきなり明日交通事故で死ぬかもしれませんし、病気にかかるかもしれません、もしかしたら、超健康で100歳を超える長寿になるかもしれません。人はいつ死ぬかわかりませんし、考え付きません。いえ、むしろ考え始めると、その恐怖からそこにうずくまり最悪一歩も動けなくなってしまうので考えないようにしている、というのが正解かもしれません。
旅の終わりとお金
ではなぜそのようなことを考え始めるかというと、どこで旅を終えるかで、かかる費用、つまりお金が変わってきます。
明日交通事故で死ぬなら、明日事故に合うまで生きてればいいので、0円で済みます。病気で1年ほど生きるとなると、一年間の治療費+生活費、という具合になります。逆に長寿で100歳以上生きるとなると、生活費+病気の治療費+税金etc…と費用が掛かることが予想されます。このようにどこに旅の終わり、エンドポイントを設けるかによって、自身の生き方、条件、在り方まで変わってきます。
長く生きたいならできる限りお金を貯める生き方にし、多少の悪条件でも耐えるなどお金にシフトした生き方になってきます。今を楽しく生きたいという人は、お金をたくさん貯める必要はありません。今を生きられれば何の問題もありません。
このようにどこまで生きたいかで生き方そのものも変化してしまいます。ではどうするか?となった時に私が思うに、わかんね。となるのが自然だと思います。というのもいつ死ぬかわからない人生そんな簡単にエンドポイントは見えません。何となく長生きしたいな、と思ったらお金を貯めるようにすればいいし、今を楽しく生きたいなら、楽しめばいい、それだけです。
さて、長くなってしまいましたが、うん。まとまんねぇわ。
自分の場合、先ほど述べたように40から60歳、さらに楽しく生きていければいい。という考え方です。人間は健康なら存外生きていけるもので、アルバイトなり、正社員なり、ノマドなり、お金は生きる分には稼げます。その先は生きている限りわかりませんが、大胆かつ楽しくを目標にしたいです。
では今回はここまでです!サラダバー!